オナ禁は一日にしてならず

オナニーで人生を破滅させた男が失われた全てを取り戻す為、起死回生を図った魂の記録

何故自信を持つ事がそこまで大事なのか(前編)

こんにちは、C.W.シコルです。

かつて「着信アリ」というホラー映画がありました。

 

ちなみにシコルの携帯は常に「着信ナシ」です。

 

ある意味ホラーですね。(泣)

 

 

 

 

すいません、ただこれが言いたかっただけです。

 

さて、何かよく分かりませんが本題行きます。

(雑やな)

 

よくオナ禁ブログやモテる方法が書かれたブログで、

 

「自信を持て」

 

という言葉が出て来ますよね。

 

シコルを含めてモテたい人の全員が今まで耳にタコができるほど

散々聞かされた言葉だと思います。

 

でも、そもそも女性から全く相手にされなかったり、

今までの人生で自分に誇れる物が何もないから

自信が持てなくて、

それでも何とかしたいから

自信を持ちたいが為に本なりブログなり見て

経験者から教えを請いたいのに、そういう人達に対して

ただ、

 

「自信を持て」

 

というのはある意味暴論じゃないのかとさえ思います。

 

自信が持てないのにただただ自信を持てって。

 

ろくに武器も渡さずに

ナイフでタイラントを倒しに行けと言っているような物です。

(できねーわ!そんなもん!!)

 

今日はそんな「自信」ってそもそも何だよって話です。

 

1.自信とはなんぞや

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Wikipediaによると

 

自己を信頼する気質、

人間が自らの能力、知識、信念などを

信頼している 精神の状態

 

だそうです。

 

 要するに「俺は何でもできるぞ!!」とか、

ナポレオンの言葉を借りれば

「我輩の辞書に不可能という文字はない。」という事です。

 

自分の能力に絶対の信頼を置いているから

出てくる言葉ですね。

 

事実、歴史上の偉人や一国のリーダーになるような人達は皆、

自分に絶対の自信を持っています。

 

だから自分の信念や意見に反対する人達がいても、

それが正しいか間違っているかは別として、

最終的に自分の意見を押し通してしまうんです。

 

最近の人物で言えばトランプ大統領橋本徹さんが正にそうです。

 

戦争もお互いが「自分は絶対に正しい」という

信念を持っているからこそどちらも譲らずに摩擦が起こった結果、

起こるんです。

 

ここまでの話で勘のいい方は気づいたと思いますが、

自信というのは何か行動を起こしたり

一歩踏み出す時の原動力であり、

同時に制御が効かない暴れ馬のような物でもあるので、

非常に強力なパワーを持っているものの、

使い方が難しい物なんです。

 

でもこの自信というよく分からん強い力は

本来人間なら生まれた時から誰でも

等しく備わっている物なんです。

 

では何故世の中には自信がない人が多く存在しているのかについて

シコルが個人的に思う事を淡々と書いて行きたいと思います。

 

それではイッてみましょう。

 

2.自信を失ってしまう要因は

実は子供のころから既に存在している

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全てを環境のせいにするのは流石に

シコルもどうかとは思いますが、

事実として現代社会の中には

個人のテストステロンを下げたり、

自信(自己肯定感)を

下げるような要因がいっぱいあります。

 

では、それは何かと言うと

それは既に子供の頃から始まっています。

 

人間が生まれてすぐに関わりを持つ人物は誰だと思いますか?

 

言うまでも無く家族ですよね?

 

(一つ誤解しないでいただきたいのですが、

自信が持てないのは家族が悪いからだという話ではありません。)

 

子供の頃はまだ世の中の事を全くと言っていいほど知りません。

 

でも知らないが故に

自分がこうしたい、ああしたいと思った事は

何でもできるという素直な気持ちで

子供達は生きています。

 

サッカー選手になりたいとか、看護師になりたい、

面白い話ではYouTuberになりたい子供もかなり増えているそうです。

 

自分を信じているから

何も疑う事無く普通に「なりたい!」って思えるんです。

 

しかし、ここで大人達の「待った」が入ります。

 

「今の時代で〇〇になるのは難しいから、

夢ばかり見てないでいい大学へ入って

将来は現実的な仕事についてくれ」と。

 

もう一度言いますが、これは家族が悪いという話ではありません。

 

そういう両親も子供のころは

自分は〇〇が大好きだから将来は絶対この仕事に就きたい!と

思った事でしょう。

 

しかし大人になって社会に出てから

現実を知り、世の中の人間のほとんどが

自分の思うように

生きる事は難しい事実を目の当たりにした経験から言っている事であって、

自分の子供には同じ辛い思いや苦労をさせたくないという

親心なのはよく分かります。

 

子供の夢を潰す為ではなく、

自分と同じ轍を踏んでほしくないから言っている

言葉なのは分かります。

 

でも悲しいかな、

 

子供のころはまだ現実を知らないが故に

それを自分の夢、強いて言えば

自分自身も否定されたと捉えてしまうんです。

 

「僕はできるって思っているのに、どうして

お父さんもお母さんも僕の事を分かってくれないんだ」って。

 

ここからまず今まで自分の中で絶対的だった自信が

少しずつ揺らいでいく事が

始まっているのではないかと思います。

 

そして

時が経つにつれ、学校に入って周りとの競争に晒され、

時に自分の無力さを知り、

テストの結果発表という形で

成績の良い子やスポーツができる子と比べられ、

少しでも自分を出したり目立った事をすれば

「我が強い、協調性がない」と先生から言われて

自分の能力や可能性を信じる事が

どんどんできなくなって行きます。

 

「あ、自分は思っていたほど

出来る人間じゃなかったんだな」って具合に。

 

更に時が経ち、

学校の成績順位の競争や受験戦争からやっと解放されたと

思いきや、今度は右も左も分からないまま

オール一本で社会の荒波に放り出されて

同期との出世競争に晒され、

少しでも決まり事やマニュアルから外れた事をすれば

「何でマニュアル通りにやらないんだ」と上司から

そこまで言わなくてもいいのにという位に叱責されます。

そしてタチが悪い事に現実には

仕事の能力だけではなく、個人の人格を真っ向から否定・罵倒してくる

人間達(クソ野郎共)がザラにいます。

 

学校や会社はとにかく

全ての人間を同じにしたがります。

人間なんて考え方や捉え方、得意不得意も

人それぞれ違うのに

それを無理矢理全員同じ土俵に立たせて

競争させているんです。

 

野球選手と水泳選手を格闘技で戦わせているような物です。

 

話が大分長くなりましたが、

要は何が言いたいかと言うと、

 

そんな環境で今まで生きてきた

人間の内、果たしてどれくらいの人が

本当の自信なんて持てますか?って話です。

 

話が長くなりそうなので、

久々にここで内容を前編・後編に分けたいと思います。

ここまでの話を聞いて賛否両論いろいろあると

思いますが、もう少しだけこのくだらない話に

お付き合いくださいませ。

 

次回に続くでござる。